信州角間温泉 岩屋館 / 真田の里の隠し湯
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当館の周辺は戦国武将真田の里の発祥の地と知られています。真田幸村はじめ日本一のつわものと呼ばれた武士たちを忍ぶ史跡めぐりをお楽しみ下さい。 |
天文10(1541)年甲斐の武田信虎によって一度は奪われた真田の地を、策略をめぐらし再び奪い返したのが謀将としてならした真田幸隆でした。真田の里が戦乱の世に名を馳せるようになったのは、その頃からでした。 |
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真田家の当主となった昌幸は、天下統一の気運が高まる中、上田城を築くなどその勢力を広げ、徳川の大軍を二度も破るなど武略家として名声をあげていきました。 |
敵方に大いに恐れられたのが、戦場にはためく真田家の「六文銭」の軍旗でした。六文銭の家紋の由来は諸説ありますが、一般的には仏教の六道銭からきていると考えられています。六道銭とは、棺桶に入れられる六文の銭のことで、三途の川の渡し銭だと言われています。真田の兵士たちは常に六文銭、すなわち三途の川の渡し銭を身につけて、決死の覚悟で戦いに挑んでいたのです。 |
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この城は真田山城、松尾新城、住連寺城、十林寺の城山などといわれるが、真田氏の本城にふさわしい規模の城であることから、真田町指定文化財史跡名では真田氏本城としており、旧菅平有料道路を、十林字から熊久保へ通ずる道路が横切った北側の、尾根の突端にある。 |
地元では御屋敷とよび、小字も御屋敷となっている。 |
武具甲冑など豊富な資料で真田氏を紹介しています。真田氏を基礎から知りたい人にはおすすめの歴史館です。真田氏に関係する史跡の紹介や、模型による史跡の解説も行っています。真田三代の活躍の歴史も一目でわかるようになっています。 |
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長谷寺は昔、種月庵と呼ばれていましたが、天文16年(1547年)幸隆が開基となり、上州安中の長源寺から晃運和尚を開山として開いた寺です。その後昌幸によって整備充実され、真田氏の菩提寺となりました。後に信之が松代に移った際、松代に長国寺を建立しました。 |
当寺の創建は室町期、横尾城の東の梅ノ木に横尾氏の菩提寺として好雪斉大柏寺と呼ばれ、横尾氏滅亡(上田原合戦)後、真田信綱公が寺を打越に移し、大光智照禅師を迎え大柏山打越寺と名付けられた。その後、昌幸公が長兄信綱公の牌所として寺堂を改築され、大柏山信綱寺と改められた。 |